社会保障費の増加は少子高齢化のせいではない!過剰保障を減らせ!

日本の財政難。
社会保障費の増加。

国民は不安だ。
将来が不安だ。

特に若い世代はこう思っている。
「年金なんて受け取ることはできない。」
「家庭を持ち子供を育てることは経済的に無理がある。」
「生活保護を受けることは人生が終わることと同義。」

日本の財政問題については、以前に書きました。

日本は借金大国で、このままだとギリシャのように破綻するぞ!と、いう声があります。しかし、日本の金利は低く、円は安全資産として評価されています。日本国の財政状況の真実はどこにあるのか?「借金に対しての正しい知識」と「正確なデータ」を元に真実に迫ります!

結論は日本に財政難は無い。
そんなものは嘘っぱちで、日本はむしろ資産大国だ!ということを根拠を付けて解説しています。

さて、今回は社会保障について。

社会保障は格差社会のリミッター

日本の社会保障制度は、医療、年金、介護、雇用、労災の社会保険、生活保護の公的扶助、社会福祉、公衆衛生と非常に手厚い。

社会保障には、最低限の生活を保障する貧困予防の目的と、富の再分配により格差階級社会を予防する目的がある。
福祉の一環でもあり、経済政策でもあるということだ。
貧困の予防は治安対策に繋がるし、格差階級社会の予防は社会の活力に繋がる。
格差が固定化した社会では、低所得者、貧困層は、いくら努力しても報われない。(ワーキングプア)
高所得者、富裕層は、権力が集中し、その地位が守られる。
自由主義、資本主義に反対はしないが、過ぎる格差は是正するべきだし、生活のセーフティーネットは必要だ。

社会保障制度や富の再分配は現代社会に必要不可欠なもだということを、よく理解しておいてください。

「あなたは社会的強者なのに、どうして富の再分配を支持するの?」気づけばテーブルの全員が、私のことを見ていた。この場にふさわしい話題でも、楽しい話題でもないと思った。だから私は、無理やり話題を変えようとした。「べつに支持してるってわけじゃないよ」と笑ってみせた。

格差是正は、低所得者への「施し」ではないし、貧乏人の「略奪」でもない。

適切な政策を行って、格差を適切な水準に収めつづけること。安定した未来を築くためには、それが欠かせない。

日本は富の再分配が機能していない!

金持ちにも年金は支給されるし、医療費は3割の負担済む。
そして低所得者の保険料負担は重い。

このグラフは 木島祥司氏のフェイスブックに 掲載されたものです。 富の再配分とは ウィキペディアの「富の再配分」の項 には「 富の再分配・所得再分配は、 貧富の差 を緩和させ、階層の固定化とそれに伴う社会の硬直化を阻止して、社会的な公平と活...

そして東洋経済の記事。
2008年の記事のようだが、2018年現在でも、こうした歪んだ日本の所得移転は是正されていない。

「日本の相対的貧困率は今やOECD(経済協力開発機構)諸国で最も高い部類に属する」。2006年にOECDが公表した「対日経済審査報告書」は、日本が米国に次ぐ第2位の貧困大国である、という衝撃的な結果…

それだけではない。日本では、驚くべきことに、ただでさえ苦しい立場にある独り親世帯(母子世帯・父子世帯)の貧困率が、政府の所得移転によって、かえって上昇するのだ。こんな問題を抱えているのは先進国の中でも日本だけである。なぜこんなことが起きるのか。
その理由は、国民年金や国民健康保険の逆進性が高いことにある。所得移転には、年金給付や生活保護、児童手当などプラスの移転もあれば、社会保険料や消費税のようにマイナスの移転もあるが、日本では生活保護の補足率が低いため、最低生活水準の年収であっても、社会保険料や税を負担しているケースが多い。独り親世帯に限らずとも、日本における所得再配分の貧困削減効果は、欧州先進国に比べかなり低い。

とにかく低所得者の税金の負担、社会保険料の負担を軽くするべきじゃないか?
保証の必要がない人にまで手厚く保障し、社会保障費は年々増加し、低所得者にも負担を迫る。
日本の社会保障制度は、まるで金持ちの為の制度かと思うほどだ。
「一億総中流」時代のなごりなのかもしれないが、富の再分配という視点からは、今の日本の制度は評価できない。

日本の社会保険制度は大幅に縮小できる!

下の記事は「年金制度はいらない」という大胆な発想。

2月23日、厚生労働省が示した年金の財政検証結果をめぐって、批判が集中した。政府公約「所得代替率5割」の確保のために、前提を甘めに見積もっているからだ。振り返れば、「年金改革」と称するものは常に小手先の数字合わせにとどまり、「消えた年金」や「政治家の年金未払い問題」といった、制度の根幹とは異なる問題ばかりがクローズアッ...

制度自体の廃止まではさておき、少なくとも、制度の内容を見直すことは必要だろう。
金持ちに年金支給は必要ない。

私は、大企業の幹部の方々に、日本の年金が世界一高いという話をしたときに、それでも足りないと言われたことがある。大企業のサラリーマンが、現役時代と同じ生活をしようとしたら、もちろん現行の年金では足りない。しかし、年金とは、本来、社会保障制度であって、国家が、高齢者が誰でも、健康で文化的な最低限度の生活を送れるようにしているものだ。それ以上を求めるならば、自分で老後の生活を考えるべきである。

年金保険にしろ、医療保険にしろ、これらは飽くまでも保険だ。
そして強制加入である社会保険は、私的保険とは違い、貧困の防止を目的とした防貧制度だ。
つまり保障は最低限でいいのだ。
それ以上は私的年金なり、自分で資産運用をするなり、自分で考えるべきだ。

日本の社会保険制度は、その目的から外れた無駄遣いが多すぎる。
無駄を削り大幅な縮小ができれば、必要な保険料も大幅に減らすことが可能になる。
低所得者から保険料を徴収する必要もない。

ちなみに、日本の相対的貧困率は15.6%、6人に1人。

なぜ?65歳になると高齢者と呼ぶんだ?

日本の平均寿命は男81歳、女87歳。

厚生労働省は2019年7月30日、2018年分の簡易生命表の概況を発表した。それによると2018年における日本の平均寿命は、男性が81.25年、女性が87.32年となった。男性の平均寿命80年超えは2013年分が初めてで今2018年が連続の6年目となる。今回は各発表データを基に、経年の寿命

驚異的に伸びている。
驚くのは1947年までは男女共に日本の平均寿命は50歳以下だったこと。

昔の65歳は確かに老人であったかもしれない。
しかし、現在は、スポーツジムでも日本百名山などでも65歳以上の高齢者と言われる人達が若者に負けず動き回っている。
元気だ。
もちろん個人差があり、60歳でもヨボヨボの人はいるし、それを言い出したら若者でも病気などにより不自由な生活を送る人はいるのだ。

私が言いたいのは、何歳になったからといって、元気なのにリタイアして、年金生活を送ることができる制度に対する疑問だ。

これが私的年金ならそれでもいい、これは公的年金の話だ。
日本の年金制度は、実はこの辺りから間違っている。
どうしても年齢によって受給資格を決めるなら、受給資格は少なくとも平均寿命くらいまで引き上げるべきなのではないか?

国民年金制度の施行され、国民皆年金体制が始まったのは1961年のこと。
日本の平均寿命は男65歳、女70歳の頃の話だ。

社会保証費のうち大半を占めるのは、医療(35%)と年金(35%)です。
これだけ本来の目的以上に手厚く保障していれば、お金が足りなくなるのは当然。
保証内容を精査し、本来の目的に立ち返ることができれば、社会保証費の問題は解決できる。

日本の財政も問題ない。
日本の未来に希望が持てない諸君。
これでどうだろう?
それほど深刻な問題ではない。

それでも制度の改正は必要だ。
国民が安心して、幸せに生活できる社会を目指さなければならない。
挑戦し続けることができる社会を実現しなければならない。

簡単!シンプル!ベーシックインカムという発想の大逆転!

社会保障費増加の問題は、保障内容の精査、縮小で解決できる。
しかも低所得者の保険料負担を軽くできる。

しかし、実際には、具体的に何をどこまで削ることができるのか?
その基準をどこに設定するのか?
間違いなく複雑化する制度に、窓口の担当者は正しい判断ができるのか?
審査に必要な人件費はいくらかかるのか?
給付漏れ、不正受給は防げるのか?

社会保障制度は国民全員が関係するものです。
だから専門家しか理解できない複雑な制度は問題です。
制度は、理解しやすい、分かりやすい、易しいものであるべきです。
制度は、簡単であるべきなのです。

国民一人一人の事情に合わせ、生活を保障し、保険料を徴収する。
理想を求めれば、細分化し、複雑にならざるをえない制度を、どうやって簡単にできるのか?

そこで、発想の大逆転、「ベーシックインカム」の登場です。

縮小とは逆行。
しかし簡単です。

ベーシックインカムとは、

すべての国民に一定額の現金を定期的に支給するという制度。

一定額とは、最低限の生活を送るのに必要とされている額。

年金はちゃんともらえるのか?
結婚して子育てをすることができるか?
もし生活保護を受けることになったら?
働いても給料が低すぎて生活がギリギリ!

こんな問題は全て解決できそうです。

しかも、すべての国民とは、新生児も含まれるので、少子化対策にもなります。
とりあえず食うことに困らないなら、何か新しいものに挑戦し続けることも可能です。

ベーシックインカムについては、私も興味あり、期待あり、メリット、デメリット、財源など、書くことが沢山ある。
また次回ということで。